2017/04/08(土) 11:20:04

山猫の徒然 久しぶりに、、。

江戸から明治に移る頃の優れた作家さんたちの書いたものに
よく見かけるのは、世の中が便利になってくると
人はバカになる、、というフレーズ
(人はものを考えなくなる)
そして大正から昭和にかけても
同じ言葉がよくみかけられます。
昭和の入ってからも
浅田次郎などにもよく出てくるフレーズですね。
また、これは優れた科学者なども
よくおっしゃる言葉ですが
便利には必ずその裏がある
ということ
プラス面が出れば必ずその裏にマイナス面もあるのだということ
私は常々思うのですが、
ある意味、「質量保存の法則」かとおもっております。
人の能力や才能が、抜きん出て入れば
その人には、必ずそのぶんのまいなすめんもでてくるわけです。
自分の能力をアップさせるためには
それに伴う努力が必要になってくるのと同じですね。
昔から知能指数 などと言われております言葉も
なんかすごいことみたいに聞こえてしまいがちですが
本来のあるべき人間の姿とは、
はっきり言って「そんなの関係ない」
と思っております。
ほとんどひとに使われるための作業能力
(この奴隷は他の奴隷よりも効率の良い奴隷である)
みたいなもんだとおもっています。

そしてそれは、真にひとに感動を与えるものを作り出していくことに
直接には何の関係もないと思っております。

明確な「覚悟」を持ち
地道な「努力」を続け
「科学的な方法論」を持ち
それがたまたま「時代の要求の合致」に遭遇しますと
歴史はそれを「天才」とよぶわけですが、、、。
一つの時代にそんな天才が
5にんも6にんもいるわけではないですしね、、。

さて、便利になったと言いますが、ほんとうでしょうか?
誰にとって便利になったのでしょうか?
そしてその裏側に発生してくるマイナス面も
どんどん増えてきたわけですが
そちらへの対処は、、なされてきたのでしょうか?
そしてそこから生まれてきた、
対処されずに山済みとなってきた
膨大に蓄積されてきたまいなすは、
だれにおしつけられていくのでしょうか?
それは、全ては消費者=民衆=国民に、、、。

8000ベクレル以下のゴミは全国どこでも産廃として
捨てて良いことになってしまいましたが、
これがなにをいみするか?

岐阜県土岐市では
住民の猛反対を押し切って
3月7日から7月7日の4ヶ月間
朝9時から夕方6時まで
核融合の実験を15分おきに繰り返し始めました。
普通の国なら、せめてその期間
小学生や中学生の避難、、とかあるのがとうぜんですが、、
「避難するってことはきけんなんですか?」
とか、出ると面倒なのと
お金がかかるので
子供たちのことはほってあるみたいですし、、

毎日15分おきに膨大なトリチウムが大気に放出されます。
名古屋にも結構な量が流れているようです、、。
うすまるからよいのだそうです?
さらに膨大に発生するトリチウム水は
土岐川に流すつもりだったらしいですが
いくらなんでもまずいっしょ、、と言うわけで
「業者が引き取る」?らしいです??。。?
(敦賀の高速増殖炉もんじゅが
技術的に今の科学では無理なので
ダメなら核融合発電とか無意味なことを、、
核融合、、もっとむつかしいんですけど、、、?
無意味と言うのは、今原発1-2台がアリバイ的に運転してるだけですが、
電気困ってますか?
アリバイ、、というのは、
いま、アジアとアフリカに
50台ほどの日本型原発を売る予定でいるらしく
その本国の日本では
「事故なんかおこったけど
大丈夫、無事終熄してますよ」
と言うのをみせたいわけですが、、
その実際の処理と
放射能はどこに持ってっちゃうの?
国民が吸収して仕舞えば薄まるからよいのでしょうか?
いらないです。

そうしたことに
明治時代以降
ずーっと目をそらしてきた
私たち国民に、、、
というよりは
目をそらされ続けてきた、、
と、いったほうがよいのかもしれませんが、、。

何にでも従順にうけいれさせられてしまってきた、、。

全てのことがそうですが
こと、食べ物と、環境のことは
さすがにげんかいにきているきがしてなりません。
ここで食べ物と言うのは
「商品」ではなく「食品」と言う意味でいっていますが、、。
私の言う食品とは、
体と心を作り、健康で健やかな人生を
過ごしていくためのもののことです。
命を頂き、いのちをつなぐのですが、
不健康な命をいただけば
ふけんこうになるわけです。
簡単な理屈ですね。

こうした簡単なところから
みなおしていってはいかがでしょうか?

明治時代以降
資本主義の国になってきた日本
これまであった全てのものは
ここから
物→商品へと
転化してゆきます。
食品も
食べ物→商品へと、、。
みなさんが家の中を、
家の外を見回して
お散歩したり
旅行をしたりして
そこに商品でないものをはっけんできますか?
多分ないはずです。
驚くべきことに
全てはしょうひんとなっています。
車のヘッドライトがこう言う形にすると売れるんだよね、、
よし、そうしよう
ならまだよいのですが、
料理やケーキで
金箔貼って農薬だらけの食用花をカラフルに飾り
添加物で泡や球体を作って
さらにケーキを2階建にしたら
世界のコンクールで優勝しました
金髪のスーパーパティシェ
とか、そんなのばっかですしね、。
美味しいものを作って
美味しさで世界で賞をとった料理人なんて
日本にいるかしら、、?
料理もお菓子も
粘土細工ではないのですから、、

こう言う人たちにには、こう言うものを出せば受ける

と言った考え方を、

昔の日本では
「媚びる心」と言ってさげすまれたものです。

「懐石の心」と言うのは
その正反対のもので
一切の媚びる心を捨て
いまその時の環境の中で
全力を尽くす
と言うのが
昔の日本では
「もてなしのこころ」
と、いわれてきたわけです。

ですので
絵を鑑賞するのには
多少なりとも絵のことを学んでいますと
より深い喜びを拾えるものです。

今の「商品としての懐石料理」ではなく
「本来の」懐石料理では
もてなす側の努力と
もてなされる側の「もてなされよう」と言う心の
両方が揃って
初めて成り立つものでした。

自分が得ることしか考えられなくなり
もらうことしか考えなくなり
責任を回避することしか考えなくなり
利に聡いだけになってしまいつつある
「賢い」ではなく
小賢しい「小利口な」現代人
ある意味別名バカ とも言いますが
人間というよりもどうぶつにちかいかと、、。
その裏側にある
その便利なものの
裏側のマイナス部分を
いよいよ真っ正面から
見つめ直す時代はすでにとうらいしております。

「 自己責任 」などと言う
わざわざ言う必要もなかった言葉を
あえて言わなくてはならないほどに
知的レベルが「退化」してしまったこの日本社会
バカみたいな無責任な、いぬやねこによませるほんですか?
みたいな
自己啓発本が、売れまくってしまうという情けない社会水準
料理の世界も同じくで
百年前よりさらに
料理人のレベルダウンはひどいものがあります。

最近の流行りですが

「低温調理」などというのがございます。
これ、社会的には
「自己責任」れべるです。ひどい。
そこまでわかりやすく?
(ある意味わかりにくく?)
しなければ
今の料理人には理解できないれべるに
なってしまったということでしょう。

料理に低温も高温もないのです。
そんなことは百年前からあたりまえのまえです。
全部ひっくるめて料理です。

では、料理とは何か?

その食材とすべきものを
食して安全なものに変えることが
料理の第一義です。

パスツールが60-70℃
という低温殺菌を発見して以来
第一の危険
ばい菌や寄生虫を死滅させることが
食材を壊すことなくかのうとなりました。

消化不良を起こして危険なもの
穀物やいもや他いろんな糖質類
は 100-200℃、を加えていくことによって
消化よくしていく。
例えばサツマイモは茹でたり蒸したりしたものよりも
消えた焚き火の熾火に放り込んで
「焼いた」芋の方が断然美味しいし
胃もたれしないことを
私たちの先人はしっていたわけです。
面白いことに
食材は安全になった瞬間が一番おいしいのです。
これが料理の第一義です

この第一義 を忘れると
なかなかめんどうなことになるわけですが、、

わたしは、こうした調理法を
昭和の頃からコツコツと四十年近く
蓄積してきたわけですが、
山猫である一定以上修行が終わった子達には
それらを伝えてきましたし、
料理教室では13年ほど前からこうしたことを
導入してきましたので
山猫軒の料理教室の皆さんは
十三年前から今流行りの「低温調理」を
ご家庭で当たり前にじっせんされてきたわけです。

それと対極にあるのが
媚びる料理ですが、

見た目を飾る
突飛なことをやってみせる
食感(テクスチャー)を優先する

などなど、
こうした料理や料理人は今やそこらじゅうに
キンタロアメみたく転がっているので、
私はスタッフたちにはそうした料理や料理人のことを
「一山十円」とおしえていますので、
その点に関しては、スタッフたちは
三ツ星シェフたちに優越感を持っています。
受けを狙った料理の方がバカが喜んで食うだけではなく
そういうものこそ素人が飛びつくミシュランにも
のりやすいあたりがこまったことですが、、。
明らかにおかねになるわけなので商品社会においては
仕方のないことではございます。

そうした東西の三つ星レストラン等では、
それらの料理がマニュアル化されているところが
危険な料理を生産してしまう原因になっております。
三つ星だ すごーい
とかいうのと、
ヒットラーは悪いやつだが
あれだけのことをやったのはすごいことだ
などという評価は

同じレベルで
本当におバカな人だなあということです。

厄介なのはそこで修行する子達が
非常にげんだいっこだったばあいにおこります。
科学 と マニュアル化の勘違い
なんでも低温調理すれば良いかのように
マニュアル的にかんがえてしまうくせがついてしまうようです。

科学が生んできたほんの一欠片の事象みたいなものをつまみ出して、
それのことを見つめて
「タンパク質の編成は、、、。」

これが科学ですーと 叫んでいるような程度の
料理人が本を書き
困ったことに多くの料理人が、それをまにうけてしまうわけですが、、


吸虫類がいるかもしれない
嫌気性のボツリヌスがいるかもしれない
例えば
川魚を
40℃以下の温度で
00時間調理しました

はい、ばい菌増えました
はい、一年後に頭蓋骨切開して虫を取り出せばだいじょうぶですよー

などという、料理ですらないとんでもないものが
「料理」としてだされてしまいます。

世の中何事もそうですが
2つしかないのです。
確信犯か?
(してて出していたら論外です、ひどい)
ただのばかか?
(おいおい少しは自分で勉強し直してからお店出しなさい)
といったところでしょうか。

もちろんそうしたことを分かった上で
きちんと安全な調理をした上で
お客様にわかりやすくするために
「低温調理しました」
といっているちゃんとしたお店もございますので
(最近なごやにも2軒ほどできましたし)
そうした店の人間は
きちんと説明もしてくれますので
安心してかよってあげ
ぜひ応援してあげてくださいね。
きちょうなおみせです。






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